このブログ中二階の管理人みなとについて

このブログ中二階を運営してます「みなと」と申します。

わたしのプロフィールに関心を寄せていただき、ありがとうございます!

このページではわたしのことについて自己紹介してみたいと思います。

少し長くなりますが、読んでいただけると嬉しいです。

みなとの幼少期

わたしは1984年5月18日生まれの34歳。

わたしは双子で(妹)姉と5歳上の姉の三人姉妹の末っ子。

双子とはいえ末っ子なので甘やかされて育った末っ子でした。

音楽やF-1が好きで真面目な父と料理上手で茶道や着物の着付けが得意な多趣味な母。

生まれは静岡県の沼津市。いまやラブライブ!サンシャイン!!の聖地。

現在は東京都の23区内で双子の姉と一緒に暮らしています。

生物学上いちおう女性です。見えないですが。

幼少の頃から体を動かすことが好きで、近所の友達と遊んだりもしていましたが、引っ込み思案な性格で友達は少なく、双子の姉と遊ぶか、基本ひとり遊びが上手な子供でした。

家にいるときは本や漫画を与えておけば大人しく本の世界に没頭している夢見がちな子供だったと思います。5歳上の姉の影響で漫画もアニメも大好きでした。

4歳からピアノをはじめて小5年で辞め、小1から書道を習うも小3くらいで辞め、小3からそろばんを始めるも算数が苦手で一番簡単な6級に4回も落ちて嫌になって辞めたくらい勉強は苦手でした。

本を読むのが好きだったわたしが唯一勉強で出来たのは国語だけ。

引っ込み思案な性格で友達がいなかったので低学年までは休み時間を図書室でよくすごしてました。誰も借りたことのない本を借りて貸出カードに自分の名前を書くのがマイブーム。

そんなわたしが本を読むのと同じくらい出来たのはスポーツで、小4から始めたミニバスケットボール。

双子の姉が先に始めてて、「姉だけずるい」と親にわがままをいって始めました。同級生のみんなより遅く始めたけど、ひとり遊びで培った練習でほかの子より早くレギュラーになって試合に出ていました。

ひとり遊びのおかげでサッカーも得意だったわたしは、昼休みに男の子たちのサッカーにひとり混ざっているちょっと変わった子供に成長しました。

部活とオタクな中学時代

小学校ではミニバスをやっていましたが、中学のバスケ部は全国大会に行くほど強くて練習も厳しかったので、ミニバスをやっていた子たちは慣習的に練習の楽なソフトボール部に入っていました。

5歳上の姉も中学はソフトボール部で、試合を見に行ったときにかっこよかった記憶があるのでわたしもソフトボール部に入部しました。

1年目は基礎やルールを覚えたりしていましたが、みんなミニバスでスポーツ経験があったのでポテンシャルは高かったと思います。

なにより中学は他の小学校と地元の小学校の2校が合わさって中学に行くので、他の中学からきた子たちはみんな小学校からソフトボールをやっていた子たちだったので上手でした。

中1の冬にその年の全中3位にもなったチームと練習試合をしてなかなか良い試合をしたことで、なんとその先生が中2に上がった時にわざわざソフト部を指導したいと赴任してきたのでした。

当然練習は毎日あり、たくさん怒られ超ハードな部活に。

練習の楽なソフトボール部に入ったはずが、バスケ部よりも練習が厳しい部になてしまったのでした。

そんなわたしの楽しみが中2から見始めた深夜アニメで、週に10本くらいは見ていたと思います。中2病の始まりでしたが、中2で好きになったことは大人になった今でも好きなことが多い気がします。

練習が終わって家に帰ってご飯を食べ、宿題をやり、少し寝て、アニメを見てから寝て朝練へ行くという今考えても無謀な生活でしたが、若かったからできたことですね。

中3になって練習の成果もあり、県大会で優勝、東海大会は3位という結果を残せました。でもあと1勝で全国大会というところで負けたので悔しかったです。

引退したあと、今後の進路はどうしようかという話になった時、当時のキャプテンから「高校でも一緒にやろうよ」と言われたのが嬉しかったので「うん」と3秒くらいで高校の進路を決めてしまいました。

東海大会3位の実績は大きく、幸か不幸か理数系が全く出来ず、文系しか出来なかったわたしがスポーツ推薦を3校からもらえたのはありがたかったです。

当時のキャプテン、副キャプテンと一緒にスポーツ特待生として、地元ではスポーツ校で有名な私立高校へ入学したのでした。きっとこのメンバーなら全国へ行けると信じて。

部活とオタクな高校時代

高校は自宅から自転車で10分の近さ。部活中心の生活でしたが練習帰りはコンビニや本屋へ寄り道してラノベや漫画を買って学校で勉強そっちのけで読みふけっていました。もちろん深夜アニメも見るのを忘れずに。

高校1年の冬に県の国体選抜選手になって合宿もよく行ってました。

高2の冬には念願だった全国大会である選抜選手権に出場。

高3の夏は県大会の決勝で負けてインターハイへの出場はかなわなかったものの、国体のスタメン選手に選ばれていたので国民体育大会で再び全国の舞台へ。最高の仲間と最高の夏を過ごしました。

全国大会出場という一応の実績があったので大学も推薦をもらって進学しました。

部活だらけの大学時代

親元を離れ、埼玉の大学へ進学したわたしは一人暮らしをしながら部活中心の日々を送っていました。

高校時代よりも練習や上下関係が厳しく毎日大変だったことを覚えてます。大好きなアニメは忙しくてなかなか見られなかったけれど、漫画だけはずっと読み続けていました。

日々の大変な練習の甲斐あってか、一応ベンチ入りしていた大学1年の時にインカレで優勝しました。なんと6連覇がかかった体育大学を決勝戦サヨナラ勝ちで降して。あの夏は暑かったなあ。

その後はずっとベンチ入りしていたものの、スタメンにはなれなくて落ち込んでたり。そんな中での息抜きは大学のパソコン室へいっていろんな人のブログを読むことでした。

当時のブログはほとんどが日記風でしたが、そのひととなりがわかって面白く、いつも更新を楽しみにしているブログがありました。

自分でも日記を書こうとノートに同じように日記を書いていたのは良い思い出です。

スタメンになれなかったわたしは4年の時に選手兼マネージャーとして大学の代表を務めることになり、チームにも貢献しました。

そして4年の時にインカレ3位になり、それなりの実績を得ることが出来ました。

今考えれば中学、高校、大学と実績に恵まれて本当にラッキーでした。

その実績とマネージャーをやっていたおかげで、他大学の監督さんのつてで事務の就職も決まったのでした。

大学時代はバイトをしたり、楽しくサークル活動は出来なかったけれど部活を辞めずに頑張ってよかったなと思います。

オタク復活、好きなことをしたい

埼玉での事務職が決まったわたしは一足先に専門学校を卒業して働いていた双子の姉の家に転がり込んで東京から埼玉へ通勤していました。

行事の多い職場で仕事も多く大変でしたが、オタク活動を極めていた姉の影響でオタク復活。部活ばかりの生活から解放されたわたしは週末はコスプレをしたり、作品作りのお手伝いをさせてもらったりするなど楽しい週末を過ごしていました。

オタク活動のおかげで知り合った友人とは今でも会えば昨日の続きのように遊べる良い友達に恵まれました。

そんなこんなで、仕事に疲れた時にコーヒーを淹れ始めたことでコーヒー関係の資格を取ってみたいと思い始め、30歳をすぎたあたりで思い切ってカフェにも転職しました。

東京のカフェで働きながら週1回半年間、レコールバンタンキャリアカレッジへ通い、無事日本バリスタ協会のバリスタライセンスのレベル1を取得することが出来ました。

その時の同級生とは今でもカフェ会を開いたり、コーヒーのイベントにいったりと刺激しあえる良い関係です。

カフェで2年半働いたあたりで人材不足で働きすぎて体を壊したのをきっかけにカフェを辞め、再び仕事的に安定した事務職へ戻りました。バリスタとして腕を落とさないよう自宅で練習も欠かさずに。

カフェでの仕事は3つのドリンクと1つのピザメニューを新商品として開発、販売できたのが良い経験になりました。いつかカフェ開業出来たらなあ。

休みが安定しているので今はいい感じに働けていますし、休みの日には姉の創作物の頒布を手伝ったり、毎回コーヒーを淹れたり、アニメや漫画を読んだり友人と遊んだりと楽しく過ごしています。

そしてこの休みを利用して大学時代に憧れたブログをはじめてみました。引っ込み思案な性格だけれど、どこかで何かを表現してみたい、0から1を作ってみたいと思って。

きっかけは断捨離中に大学時代につけていた日記を発見したこと。懐かしくて毎日楽しく書いていたのを思い出して再びやってみたい、今度は憧れたネット上でと。

恥ずかしながらネット超初心者のわたしでしたが、奮闘しながらもはてなブログ→WordPressへの引っ越しも出来ました。やればできるんだなあ。

日記風のものからコーヒー関係の経験をもとにした人様のお役に立ちそうなコンテンツまで、ありったけの自分の「好き」を今後も詰め込んでいきたいと思います。

何者でもないわたしのブログを読んでくださっている読者さんに「なんかいいな」「なんか楽しいな」と思っていただけるように言葉を紡いでいきたいと思います。

とまあ、長くなってしまいましたがここまで読んでいただけて幸せです。ほんとうにほんとうにありがとうございます!

これからも楽しく続けていきたいと思います。

あなたの人生にも幸あれ!!

最新情報をチェックしよう!